My Photo
August 2011
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Categories

  • ウェブログ・ココログ関連
  • グルメ・クッキング
  • スポーツ
  • 日記・コラム・つぶやき
  • 経済・政治・国際

2011.08.09

いろんなことがありまして。

みなさま、お暑うございます。
いかがお過ごしでしょうか。

そしてご無沙汰しておりまして、申し訳ありません。

まぁ人生いろんなことがありますね。

ここ2年半の間、アタクシは3足のワラジを履いておりました。

平日の昼間は新宿の会社のサラリーマン。

月〜土の夜は高田馬場の鍼灸学校の学生。

そしてその合間に高田馬場で怪しい身体調整サロンをやっておりました。

実はこの一角がくずれまして。

新宿の会社が業績不振のため人員整理。なのでアタクシも7月いっぱいで退職しました。

ま、もともとほとんど仕事していなかったのでいつこうなってもおかしくない状況でした。

でもいざそうなるとかなり慌てましたね。

だって失業者なんですもの。

しかもあと半年、学校行かなきゃなんないので再就職しようにも難しい。

ほんと、学校は年内でおしまいなので、もうちょっとだったんですけどねー。

まー、人生はそううまくいかないもんです。

で、ハロワ行ったり、求人情報見たりして普通に職探ししてみましたが、アタクシの年齢だとほぼ無理。

そうなんですよ、みなさん。

だからいま、正社員の地位にいる方々は決して辞めては行けません。しがみついている方が賢明です。

さーて、どうすっかなー。

とりあえず昔、やたら忙しかったあの仕事の関係者に聞いてみようって思い、恥も外聞もなく「これこれしかじかで、バイトでいいからなんかない?」って連絡してみました。

そしたら翌日にちゃんと連絡いただいて、「実は昔ちょっとだけ一緒に仕事をしたことがある東大法学部中退のあの人が作った会社があって、そこでどうですか」とのこと。

しかもその会社の所在地は高田馬場。

てなわけで話はすぐに決まり、8月からそこでお世話になることになりました。

当面は夜の学校があるのでアルバイトですが、面白い会社なのでこれからどんどん面白いことをやっていこうと思います。

いや、今回の件であらためて思いました。

どんなにつらくても、どんなに社内で評価されなくても、仕事に対して誠実に、きちんと取り組んでいて、協力してくれるスタッフの人たちを大事にしていると、ちゃんと人はそれを見ていてくれて、困ったときに手を差し伸べてくれるっていうこと。

ちゃんと仕事しててよかったです。

そうなんですよ。

仕事はちゃんとやること。周囲の人たちを大切にすること。

これです。

また、7月までお世話になった新宿の会社にも感謝してます。

これは嘘偽りなくほんとに感謝してるんです。

だって、ほぼスポンサー状態だったんですから。

しかも3年半も。

これがなければ今のアタクシはありません。

てなわけで、8月から平日は高田馬場のオフィスで編集畑の仕事。
9月から12月まで夜は鍼灸学校の学生。
その合間に怪しい身体調整サロン。

こうなりました。

でも今週はヒマです。仕事なし。

あー干上がるかもしれない。

でもやめません。

継続は力なり、です。

来年の4月からは、場所を変えて鍼灸院としてリニューアルオープンするもんね。

以上、残暑お見舞いを兼ねた現状報告でした。

残暑厳しき折、ご自愛くださいませ。

2011.06.07

永田町のひとびと

3週間ほど前、いわゆる「陳情」を初体験してきました。

いま、震災被害地の復興にかかわるプロジェクトにすこし足を突っ込んでいます。

ぜんぜん経験のない分野なのですがサポートでいいということだったので、そのプロジェクトのリーダーといっしょに永田町の議員会館に行ったのです。

「陳情」自体はほんの10分ですが、永田町の人々の「異常さ」がよくわかりました。

相手の話の聞き方、笑顔の作り方、隙をみせない話し方。

さすがによくトレーニングされてらっしゃいます。

この点は見習うべき、すばらしい資質。

議員会館というのは、当選すると与えられるオフィス。
入り口では空港と同様のセキュリティチェックがあり、受付でもきびしいアポの確認があります。

あのオフィスを使わせてくれるのであれば、そりゃ居心地いいですよ。

で、最後のおとしどころはなにか。

「私はその件についてはよくわかりませんし、私はそういう類のことはいっさいやらないことにしています。ま、具体的なことについては秘書に話をしてください」

でした。

ははぁ。なるほど。

これが例の「私は一切関わりがないし、全く知らない。秘書が勝手にやったことだ」

という弁明につながる道筋ですね。

でも、この陳情がほんとに効いてこのプロジェクトが決まるとしたら、日本の政治がぜんぜん機能しないのもむべなるかな、です。

だって、このプロジェクト、いまは地元ではぜんぜん需要がないんですよ。

震災当初は需要ありという見込みで始まったのですが、現状見るといらないの。

それなのに、永田町の一声で予算がつき、建設業界に売上と利益が落ち、だれも使わないものが現地に残る、という結果を招くとしたら、ほんとにどうかしてます。

永田町の中に入ってみて、その住人たちのやっていることの奇妙さがよくわかりました。

権力につく、ということはこういうことなのでしょう。

自分の一声で多くの人たちが動き、巨大なお金が動く。

こういうところにいたら、普通の感覚など忘れてしまうに決まっています。

もうひとつ、学んだこと。

このプロジェクトのリーダーは元D通。

なーるほど。ほんとにD通というのはこういう仕事の仕方をするんだってことがよくわかりました。

こういう動きがうまくいく場合もあるけれど、それ以上に現場の反感を買うということがよくおわかりになっていらっしゃらないようです。

こういう動きがまったくできないよりは数倍いいんですけどね。

時と場合によります。

でなわけで、50をすぎて初めて知った永田町に実態でした。

いい社会科見学をさせてもらいました。

2011.03.17

デジタル環境一新

携帯電話をはじめとするデジタル環境をリニューアルしました。

いままで使っていたのはこちら。

Rimg0239

i-Phone 3G とドコモのSO902iWP と イーモバイルのデータ通信端末。


で、リニューアルした組み合わせがこれ。


Rimg0241

ドコモのSO902iWPはそのままで、ソフトバンクの携帯 731SC とイーモバイルのスマートフォン htc aria です。

なんでこれに変えたかというと、i-Phone に飽きたから。

たしかに i-Phone を使い始めたころは、これはすげー、と思っていたのですが、だんだん不都合が見えてくる。

1、地下鉄の階段をあがり地上にでてすぐ、アンテナたってるのを確かめて電話する。でもつながらない。こういうことがよくおきる。

2、日本語変換の予測がまるでだめ。毎日同じフレーズを打ってるのにその都度入力するはめになる。

3、ちょっと郊外に行くと圏外。アタクシの実家がある所沢市の丘陵地帯は圏外。ドコモは問題なく使用可能。

4、複数の仕事でメールアドレスを使い分け、それをG-mail で一元管理しているのだけれど、i-Phone からではその使い分けができない。ブラウザでG-mail にアクセスしても操作性が悪くて結局使い物にならない。

てなわけで、i-Phone 変えようと思ってました。

そんなときに見つけたのがこのイーモバイルのアリア。

まず、これは WiFi が使える。マックとワイヤレスでつなげてネットにアクセスできる。

しかも、スマートフォン。

しかも、通話料定額、しかもキャリアを問わず。

これがね、使ってみるとi-Phone よりはるかにいい。

i-Phone より早い。

通話はなんなくできる。

あの大地震の最中、11日、12日でさえつながらなかったときは1回だけ。

ソフトバンクもドコモもまったく発信不能だったあのときに、ちゃんと発信できた。

日本語変換の予測が携帯電話なみに優れている。

G-Mail の使い勝手がずっといい。

しかも、カレンダーが自動的にグーグルカレンダーと同期される。

対応エリアはまだ都内にしかいないのでわからないけれど、i-Phone とたぶんかわらないはず。むしろつながるエリアでは圧倒的にこっちの方が早い。

で、コストはどうなったか。

ドコモのSO902iWPは関わっている新宿の会社のものなので、そのまま会社持ち。

i-Phone を731SC に変えて、端末代の残りとホワイトプランで月3,215円。これはほぼ受信専用なので、これ以上かからない。

アリアの方は定額で月6,600円。

あわせて9,815円。

いままではどうだったか。

i-Phone が月6,500円から8,000円。

イーモバイルが月3,980円。

あわせて10,000円以上。

っつーわけで月々の支払いが1,000円以上下がった。

大正解。


あー、i-Phone やめてよかった。アリアは予想以上だったし。

» Continue reading

2011.03.04

絶品ボールペン

Photoなにを隠そう、筆記用具にはうるさい。

かつて面壁3年の修行をしていたころ、勝負の決め手になるペンに執着し、神保町「金ペン堂」でテクニカルチューン済みのペリカンスーベレン万年筆を3本も買ったこともあるくらいの執着である。

で、近頃求めていたのはビジネスシーンで見栄えがよく、しかもすらすら書けるボールペン。

外部の人たちとの打合せや、署名が必要なシーンではそれなりに見栄えのする筆記具の方がいい。

バリバリに仕事できそうで、さわやかな印象のビジネスパーソンが、書き心地がいいのはわかるが、100円、200円のボールペンではちとまずい。

かといってアタマに白い王冠がついてるのじゃ、袖口から金のロレックスがみえるのと同じくらい嫌味である。

たしかに、日本のボールペンのクォリティはすごい。

私はジェットストリームがでたときには感動して、いまでも使っている。

筆記具の重要なポイントは、書き出しのその瞬間からちゃんとインクがでること。

この要求を満たす筆記具となると、サインペンかゲルインクボールペンが一番である。

でもサインペンやゲルインクはオフィシャルな場面にはちと向かない。

万年筆か油性のボールペンなんですよ、ここは。

でもね、万年筆はインクの乾きが遅いし、手や紙が汚れる。

となると理想は油性ボールペンで、最初のひとラインからちゃんと出て、それなりに見栄えのするもの。

これがなかなかないんですね。

誰でも知ってるブランドのボールペンは、最初のひとラインの要求を満たさない。

しかもボタおちする。

1

で、2週間前に偶然見つけたのがこれ。

ロメオのR-113。


これはすばらしい。

ジェットストリームなみにすらっとインクがでる。

書き出しの瞬間もバシっとインクがでる。

しかもこの見栄え。

これで8925円。

大満足。

2ついでに、いつの間にか「紙用マッキー」というのが発売されていて、これもお気に入り。

アイデアやプランを書き出していくには、こういう太いラインが一番なんですよ。


2011.01.04

雑草魂

箱根駅伝、面白かったですねえ。

柏原くんの山登りはほんとにすごいです。あれは超人。

大学でサッカーをやっていたころ、夏合宿は菅平でした。

菅平にはダボスと呼ばれ冬はスキー場になる山があるのですが、その山に毎朝駆け上がります。

ほんの4キロ程度なのですが、一日のスタミナが根こそぎ奪われるようなめちゃめちゃきついトレーニングでした。

その数倍の登りをあのスピードで駆け上がる。

ほんとに信じられない能力です。

さて、優勝は母校、早稲田大学でした。

柏原くんに抜かれましたが、健闘した5区の猪俣くんは一般入試で入部した選手でした。

母校の誇るべきところは、一般入試で入ってきた学生にも運動部の門が開かれているということ。

私も普通に入試を受けて合格してから入部しました。

合格発表を見に行ったその帰りに東伏見のグラウンドにサッカー部の練習を見に行き、練習後に「入部させてください」ってお願いしたのです。

主将の内藤洋介さんに「学部は?」「出身校は?」と聞かれただけで、あっさり認めてくれました。

あの前代表監督も、厳密に言えば一般入試で入ってきた人です。

ほかの大学で、一般入試の学生が運動部に入るというケースはあまりきいたことがありません。

原則、試験前にセレクションを行い、そこで選抜された学生しか入部させてくれないところがほとんどです。

法曹に多くの人材を輩出している某大学に一般入試で入ったあと、バスケットボール部に入部したかったので入れてくれとどんなにお願いしても入れてくれなかったという話を、広告会社時代の後輩から聞いたことがあります。

どんな人材が埋もれているかわからないのにもったいないですね。


2010.12.21

金メダル監督

Sekiアジア大会で金メダル取ったセキヅカタカシ監督の祝勝会を兼ねた忘年会に行ってきました。

監督はアタクシが4年のときの1年生。

当時からナイスガイでしたが、偉くなってもぜんぜん変わりません。すばらしい男です。

そして、このナイスガイを監督にしたのが同期のキャプテン、ハラヒロミです。

Hara

代表監督として2勝して、自らが説得して呼んできたザッケローニ氏に引渡しました。

彼がかかえている今の問題はアジアカップ。

ヨーロッパのクラブにアジアカップの変則的な日程を理解してもらい選手を出してもらうのは、われわれが想像している以上に困難な課題のようです。

同様に、彼が取り組みたいのはJリーグの日程変更。

秋開始、5月終了というヨーロッパスタンダードにあわせないとJリーガーは休むことができません。

どちらも難問ですが、ぜひ実現させていただきたいものです。

2010.11.19

喪中につき

父が5月21日に他界しました。

だから「喪中はがき」を出さなければならないのですが、アタクシはもともと年賀状を出していません。

30代の半ばあたりに、「もう年賀状やめます」という年賀状を出してから、ずっとです。

そのかわりに折々のご挨拶のはがきを出すようにしていますが。

というわけで、この場で喪中のご挨拶です。


父が眠ったまま呼吸を止めたのは5月21日の午前3時52分。

母からの電話を受けて病院に駆けつけたときには、すでにエンバーミングの最中でした。

あの日は今年の猛暑の前触れのような暑い一日でした。


さて、孔子先生によれば、本来喪に服するのは3年です。

死者の声がだんだん遠くなり、やがて聞こえなくなっていくまで耳をすませる。

それに要する歳月が3年だから、です。

これは生の場面と対をなします。

この世に生を受け、父や母の声が「聞こえる」ようになるまで要する歳月がほぼ3年。

「服喪とは自分自身の育ってきた過程を俯瞰的に把持することです。

それは「愛」の意味について、もう一度徹底的に考えることです」

(以上、内田樹先生による)

父の声が「聞こえる」わけではありませんが、父の不在の寂寥感はいまでもときどきドアを叩いてやってきます。

決して折り合いがよかったわけでもないのに、です。

むしろ、直後よりも3ヶ月、半年たった後の方がその「声」は大きく響くように思います。

きっと孔子先生が言うように、聞こえなくなるまでに3年くらいかかるでしょう。


とはいえ、今の時代に服喪3年は長いですね。

社会生活上のルールと、ココロの中の服喪は切り離して、アタクシも1年の服喪でご海容いただこうと思っています。

ということで、みなさま、これから忙しい年末です。

ご自愛くださいませ。

2010.10.13

仕事ができる人はなぜ筋トレをしないのか

筋トレよりも「お稽古」。

唐突ですが、私はそれをお勧めします。

「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」という新書もでてるくらい、筋トレが身近になりました。

私がサッカーをやっていたころは、フィットネスクラブが存在しなかった(国立競技場の下でやっているのは知ってましたが)こともあって、筋トレをやっている人はほとんどいませんでした。

ウエイトトレーニングとボディビルの区別もつかないのが普通の時代です。

そのころから私はサッカーの練習のあと、ひとりで柔道部の部室に行ってバーベルをかりてウエイトトレーニングをいしていました。

大学卒業後にも、なんと自宅にベンチとバーベルを買ってベンチプレスをしていたくらいの筋トレ好きでした。

でもいまは筋トレよりも、日本古来から伝わる武術や身体運動(舞踊や能や礼法など)を稽古した方が数倍いい、という立場にあります。

なぜか。

筋トレは筋繊維を太くすることで身体運動のパフォーマンスをあげようとするものです。

でも、身体運動がうまくいかない(=カラダにゆがみが生じて各種の症状をだす)のは、カラダを動かす回路の按配がよくないからであって、筋繊維が細いからではないはずです。

いいかえれば、パソコンのソフトにバグがあるからうまく働かないのであって、パソコン本体のスペックが低いからではないのです。

ソフトのバグを直せば、いまあるそこそこのスペックの本体でもちゃんと仕事はできるのです。

ではバグを取るにはどうするか。

その手法が武術や身体運動なのです。

武術の動きは、筋トレをはじめとする「科学的トレーニング」では説明できません。

カラダを割る、浮き身をかける、含胸抜背(がんきょうばっぱい)、等速度運動、ガマクをかける、etc.

これらの身体操作を可能にするためには、今までの回路ではないものを自分のカラダとアタマに作っていく必要があります。

その過程のなかで、いままでの間違ったカラダの使い方が修正され、カラダを整い、ココロが整っていくのです。

ただしこの過程は決して簡単ではありません。

なので、敬遠されてしまうのです。

筋トレがはやるのは、なんといってもその「わかりやすさ」にあります。


筋肉を鍛える。注意点はいくつかあっても単純に鉄の塊を上げたり下げたりするだけ。

歯を食いしばってやっても、乱暴にやってもそんなに効果に違いはでない。

そして3ヶ月もすれば目で見てわかる、さわってわかる効果がでてきます。

簡単なんですね。


でも、そこに逃げてはいけません。

複雑でわかりにくくてとっつきにくいけれど、武術や身体運動には汲めども尽きぬ文化があります。

どうせやるならそちらの方を目指すべき。

私はそう思います。

2010.09.21

日常のありよう

Photo大阪から帰る途中で京都に寄り、大将軍八神社に行ってきました。

近所の子供たち3人が上半身ハダカになってかくれんぼしていました。

こういうところがいいんですよ。

2010.09.06

90年代と変わっていません

毎日毎日暑いです。

私が高校3年だった1975年の夏も9月下旬まで暑さが続いて、サッカー部の練習がきつくてたまらなかったのを覚えています。


さて、この暑さのなか、今年は近藤誠先生の「患者よ、がんと闘うな」を読み返してみました。

これは90年代に「文芸春秋」に連載していたもの。

その連載時にアタクシは読んでいたのですが、今回改めて再度読んでみました。

この本の主張はだいたい以下の通り。

1、抗がん剤が効くのは、急性白血病、悪性リンパ腫、睾丸腫瘍、子宮絨毛腫瘍、小児がんの5つだけ。あとのガンには効かない。

2、抗がん剤を試しに受けてみよう、というのもありえない選択。なぜなら1発で取り返しのつかない副作用がでてしまうから。

3、手術や放射線も合併症や副作用で苦しんだり、死亡したりする。

4、早期発見、早期治療もそれが有効という証明はされていない。

5、がんには2種類ある。他の臓器に転移しない(リンパ節への転移を除く)がん、他の臓器に転移するがんの2つ。前者は「がんもどき」、後者が本来のがん。

6、転移するがんは最初の病巣が発見されたときにはすでに他の臓器に転移している。だからいくら早期発見、早期切除しても転移はふせげない。

7、「がんもどき」は転移しないので、放置していても増殖が止まったり、小さくなったりする。大きくなって日常生活に支障が出てから治療すればいい。

8、つまり、早期発見、早期治療で治っているがんは「がんもどき」だから、放置していても治った可能性が高い。

9、がんから生還した人たちが大勢いるが、それらはみんながんもどきからの生還にすぎない。

この論文が発表されて20年近く立ちますが、がんをめぐる医療の現場はぜんぜん変わっていません。

私の父が食道がんで亡くなったのは今年の5月。発見されたのは09年3月。

もう81歳だったので切らない方法を選ぶべきだ、病院行くなら川越の帯津先生のところに行ってみたらどうか、と私は提案しましたが、父は耳を貸しませんでした。

「帯津病院は終末医療だ。生還した人をきいたことがない。オレはそこらの80代とは訳が違う。手術で生還する」
でした。

ちなみに帯津病院はこの本のなかでも批判の対称になっています。

さて、父が選んだ選択肢である「しかるべき病院での手術」でどうなったか。

食道だけではなく、周囲のリンパ節への転移が疑われたので、まず抗がん剤で小さくしてから手術、という方針が取られました。

それで、まず抗がん剤投与です。

で、案の定一発で腎臓が破壊され、以後死亡するまで週3回の人工透析をするはめになりました。

食道がんに抗がん剤は無効であるのに、平気で抗がん剤を使っているのが現実です。

その後、主治医がかわって担当になった新しい主治医も、セカンドオピニオンを聞きにいったドクターも、それが「標準治療」ということで疑いを持っていませんでした。

結局、手術は半年伸びて、09年10月末に12時間の手術をして食道を全摘、リンパ節も10数カ所切除しました。

術語の経過は順調でしたから、手術の合併症、後遺症はありません。

この部分はさすがに進歩しています。

でも、今年3月に再発し、5月に他界でした。


抗がん剤を打たなければ、腎臓がやられることはなかったのですから、もしかしたらこの暑い夏も、父は趣味の畑仕事をしていたかもしれません。

でもそれは時間の問題で、父のは転移するがんでしたから、やっぱり同じ時機に同じ運命をたどった可能性があります。

でも、抗がん剤をやめておけば内容の違う1年があっただろうと思います。

ただし、これらはすべて父が自分で選択した治療です。

自分が納得していないのに、ほかの治療を受けさせても悔いがのこるだけ。

本人が納得してうけた治療だし、諸先生方も出来る限りの治療をしてくれたのは事実です。


厚労省と、国民皆保険と、製薬会社とでがっちり固められた枠組みの中では、他の選択肢を取るのはきわめて難しいですから。


ようするに、父の食道がんは治らないわけです。

最初からそれはわかっていること。

でも最初の段階で、「これは食道がんです、治りません」と本人に言えるか、ということ。

たとえ言ったとしても本人がそれで納得するか、ということ。

父であれば、治らないと言われても、治ると言ってくれる医者を探してその治療を受けるに決まってます。

セカンドオピニオンを聞きにいったのは死の2週間前。

ドクターの提案は

「緩和医療しかないのが現実です。残る手段は別の抗がん剤を使ってみることですが、この薬の効果があるのは5%程度。しかもその効果というのは1ヶ月くらい延命できるかもしれないという意味です。副作用がありますから、それで苦しむこともありえます」

でした。

この提案は普通は拒否します。

でも父の反応は「可能性がゼロではないんだからやってみるか」でした。

こういう患者もいるのですから、抗がん剤が効かないとわかっていてもやる方向にいかざるを得ません。

だから、構造上それをやめるわけにはいかないのでしょう。


さて、先日、芸能リポーターの梨元さんが亡くなりました。

ちらっとニュースを見る限り、髪の毛は亡くなっていました。

肺がんなのに、抗がん剤、ということです。

医者から抗がん剤を進められても断ったらどうなるか。

他の病院行けと言われる。でも他の病院はそう簡単には見つかりません。

だからやむなく進めるままの治療を受ける。

がんにかかったらどうするか。

難しいですね。

«猛暑の夏に